原点復帰の会計学
プロローグ:会計の世界は「なぜ」だらけ「なぞ」だらけ
未実現利益は「沸いてないお湯」
収益は、原材料を仕入れたときに少し発生し、なんか以下の河口の段階で次第に大きくなり、製品を包装したり店舗に並べたりして、また少し増え、最後に客と交渉する時に少し増えて、販売が成立すると、それまでに累積的に発生してきた収益が実現する、これが会計における収益の発生と実現に関する理解
第1章 コンセプチャル・フレームワーク論とピースミール・アプローチ論
医学はピースミール・アプローチ
医学や薬学は会計よりも技術性が強く、いわゆる国際間での「相互乗り入れ」が簡単なように思えるが、実は、アメリカの医師免許は日本では通用しないし、日本の医師免許もアメリカでは通用しない。同様に、アメリカで薬品として販売が許可されているからといって、日本でも薬品として販売できるようにはなっていない。
科学はやはりピースミール・アプローチ
会計は「合意の学」だといっても、基礎概念や計算方式などの約束が成立した後は、他の諸科学とかわらず、それらをベースとして経験を罪、論理的な展開を図り、場合によっては経験や論理展開からのフィード・バックによってコンセンプチャル・フレームワークに改良を加えてゆく必要がある。そこではまさに、ピースミール・アプローチを採用せざるをえないのである。
コンセンプチャル・フレームワークは反証可能か
財務報告の基本目的が仮設され、その目的に整合するように会計情報の質的特徴が演繹され、その質的特徴を満たした財務諸表項目が特定されて、最後にその財務諸表構成項目の認識と測定が「約束」されている。
第2章 真実性の原則は誤解されていないか
真実性に関する通説
第一原則だけが真実性の原則のすべてではなく、第二原則から第七原則まで、それぞれの見地から真実性を言い表しているもの
真実性の原則は、企業会計原則における、この原則を除く他のすべての条項を遵守することを要請する原則である
通説の問題点
企業会計原則は、「首尾一貫した理論体系としてではなく、いわばピースミール的に形成されてきた」ものであって、真実性の概念から演繹的に導出されたルールの集合でもないし、真実性の概念に照らして改正が行われてきたわけでもないのである。
したがって、企業会計原則に準拠することが真実性を確保することの保証になるわけでもなく、また、真実性を確保するためには必ずしも企業会計原則に従う必要がないケースもありうる、と考えるべきではないだろうか。
第3章 継続性の原則は会計のアキレス腱か
継続性の原則は会計のアキレス腱か
できる一つの会計方法から、他の方法への変更によって、報告利益及び資産価値に対して何百万ドル、あるいは何千万ドルという多額の影響が及び得るとなれば、「認めることのできる」慣行の基準には、ほとんど妥当性は見出せないことになる。
第4章 経理は自由か不自由か
経理自由の原則に関する諸説
1.法(及び正規の簿記の原則)に反しない限り、会計処理・手続の選択は企業の自由であるとする説(テゥルンプラー、ヴェーエ)
2.税法に対し企業の自主的経理の尊重を要求するスローガン(「調整意見書」)
3.一般に認められた会計原則の枠内においては、会計処理・手続の選択は企業の自由であるとする説(ヴァンス、黒澤教授、若杉教授)
経理自由の原則と継続性の原則
いかなる状況の時にどの原則・手続を適用するべきかが理論及び実務的に明確であるならば、継続性の原則は、理論上、不要になる。
第5章 利益は発生するか
会計の目的はなにか
『会計学大辞典』
財産の「増減の事実と増減の原因を継続的に記録し、一定の期間ごとに、財産がどのような原因でどれだけ増減し、どれだけの財産が存在しているかを明らかにする行為」
→ストックを計算するシステム
『会計学辞典』
企業会計の直接的課題は、企業活動の結果として獲得される利益の算定にある
→フローを計算するシステム
会計は、歴史的にはいざ知らず、現在の企業会計に限っていえば、財産を計算するシステムとしてはあまりにも幼稚である。手元にある財務書評を見てもらえばよくわかる。貸借対象に掲げられている現金とか預金は、財産の有高を示しているといってよい。しかし、商品や製品の有高は、金額で、しかも総額で表示されているため、果たして、いかなる商品・製品が何個・何トンあるのかはわからない。わかるのは、商品とか製品が、全体でいくらのコストをかけて購入・製造されたかだけである。
利益の社会的認知
P134 L1〜
「未実現の利益」などは存在しない
P142 L4〜
第7章 会計ディスクロージャーの本質とわが国の会計制度
英米における会計ディスクロージャーの目的観
アメリカにおける限り、ファイナンシャル・アカウンティングという呼称が意識して用いられるようになったのは、まさしく資本の調達との関係においてであった。つまり、全盛期の後半、その頃はまだ生成の過程にあったアメリカの産業資本がイギリスの資本を導入しようとした際に、イギリス本国からイギリス人の会計士が渡米して候補会社の財政状態や収益力を詳細に調査したのが、アメリカにおける会計実践や会計監査の?明を意味し、その後もアメリカの企業会計は、主としてこの資本調達との関連において、徐々に成長していったものといえる。
第8章 お題目の日本型会計ディスクロージャー
法が想定したか会計ディスクロージャーは役に立っているか
大陸法系を採った訳
明治初期の我が国が近代国家としての体裁を整えるため成文法を必要とした
第10章 間違いだらけの時価会計
時価会計の「被災国」ニッポン
妙なことに、日本の時価会計は、財務諸表の上だけの時価評価で、評価駅を計上しても配当可能利益は増えないし、持ち合い株の評価益には税金も課されない。つまり、商法や税法は、会計の時価評価を否認しているのである。
「捕らぬ狸」の時価会計
時価会計の基準は、こうした1社が保有する有価証券を考えても夢物語に過ぎないのに、我が国の企業がこぞって有価証券を売りに出しても、「すべて時価で売れた」ことにして財産と利益を計算するのである。国をあげて、「捕らぬ狸の皮算用」をしようとするものである。
「含み経営」は悪か
時価会計は、こうした「蔵の中身」や「貯金箱」を好き勝手に使えないように、さっさと放出しろといっているのである。時価会計は、「蔵の中身」も「含み」もすべて吐き出して、経営者も企業も「丸はだか」にしようというものである。
ただ、「蔵の中身」「含み」がいくらあるかは知っておきたいところである。投資家のことを考えたら、時価会計で丸はだかにするのではなく、いくらの「含み」があるかを知らせるほうがよいのではないだろうか。なにせ、丸はだかにされた会社の財務諸表には、売れもしない有価証券を「売れたことにして計算した利益」がたっぷり入っているのである。
第11章 ギャンブラーたちのアメリカ会計
純度99%の会計基準
1%の不純物
会計規準の設定に入り混じった「政策」あるいは「国策」である。国策にもいろいろ合って、「産業振興策」もあれば政権の「利益保護策」もある。この1%の中には、本来なら規制されるべきことを規制しないという意図的な不備も含まれる。
エピローグ:原点復帰の会計学
会計は多能か無能か
今日の会計は、財産を評価するようには作られていませんが、貸借対照表をみると、現金預金だの売掛金だの、有価証券だの土地だの、企業が保有する財産が列挙してあり、いかにも財産表のように見えます。しかし、これらの項目に付されている金額は、財産の現在の価値を表しているわけではありません。会計は、これまで長い間、財産(資産)を評価することを回避して、期間損益計算を適正に行うために資産の取得原価を各期間に適正に配分することに力を注いできました。
<参考文献>
田中弘『原点復帰の会計学〔第二版〕』税務経理協会、2002年11月