修士論文要旨

 

二つの会計目的観と我が国会計制度の方向性 ―意思決定有用性思考の台頭を中心として―

 

 今日、アングロサクソン型資本主義を基調とする経済のグローバル化が進んでいる。このような背景のなか、会計ではIASB International Accounting Standards Board:国際会計基準審議会)やFASBFinancial Accounting Standards Board:米国財務会計基準審議会)を中心に意思決定有用性を会計の目的に置く志向が世界的潮流として存在し、広がりを見せている。アングロサクソン型資本主義を基調とする経済のグローバル化に対しては、スティグリッツ(Joseph E. Stiglitz)などの多くの経済学者がその行き過ぎに警笛を鳴らしている。しかし、会計における意思決定有用性思考の強まりには、再考が十分にされておらず、その進行は歯止めが効かない状態にあるように見受けられる。我が国においても、意思決定有用性は多大な影響を及ぼしており、会計ビックバンと称される一連の会計基準の設定・改訂や商法会計における抜本的な改正が企業会計原則に掲げる取得原価主義との齟齬がみられるなかでも相次いでなされている状況にある。この急激な会計の変化は、監査報告書におけるレジェンド問題などの国際的な圧力によって、否応なしに進められてきた。このことに関する評価は難しいが、意思決定有用性に始まる一連の流れを再考することによって、我が国の会計制度の方向性を探ることは、有意義であると思われる。本論文は、このような意図のもとに若干の考察を試みている。

アカウンタビリティの遂行と意思決定有用性という二つの会計目的観に焦点をあてて分析することによって、会計の本質を浮き彫りしながら、最終的な結論を導いた。

 第1章において、会計は、基本的な職能を「記録・伝達」とするものであり、その機能(役割)は目的の設定によって規定されることを明らかにした。また、会計の道具としての複式簿記に触れ、会計の計算行為における複式簿記機構の重要性および不変性を明らかにした。そして、今日、社会的制度として存在している会計に帯びる制度性という新たな本質として組み込まれる性格を述べている。

2章では、伝統的な会計目的観であるアカウンタビリティの遂行について、会計の歴史およびアカウンタビリティの意義という観点から考察している。会計は、古代の発祥の頃より、アカウンタビリティの遂行にその目的をおいて発展したものであり、今日それは、株式会社制度という、所有と経営の分離による受託責任の解除というかたちで続いていることを明らかにした。

3章では、新たな会計目的観である意思決定有用性を初めて定式化したASOBAT A Statement of Basic Accounting Theory:基礎的会計理論)を中心にその内容を考察している。経済的背景の変化により、会計に求められるものは意思決定有用性をもとに拡大される傾向にあり、その初期の表れがASOBATの公表があった。ASOBATによって、会計の定義に意思決定有用性が採用され、会計は伝統的なアカウンタビリティの遂行目的から新たな意思決定有用性を目的としたものへとその比重を高めていくことになった。現代会計へのターニング・ポイントとしてのFASBの設立、SFACの公表により、意思決定有用性は、名実ともに会計目的観として会計規制のなかへ組み込まれることになった。

4章では、意思決定有用性の広がりの背景にある経済的・国際的動向を考察し、その必然性を探った。経済的背景としての経済の市場経済化、つまり、実物経済から金融経済の移行によるオフバランス取引の増加などにみられる取得原価主義会計の限界は、意思決定有用性の広がりを必然的なものとした。経済の市場経済化は、経済の国際化も同時に進行させ、資本市場の国際化は、会計基準の国際化も必然的に生じさせたのである。会計基準の国際化は、現在IASBを中心に進められており、IASB業績報告プロジェクトにみられるように、その志向は意思決定有用性を極めて強く押し出している内容である。IASBの構成は、アングロサクソン諸国に偏ったものであり、意思決定有用性は、事実上世界標準の会計目的観となっているのである。

 第5章では、新たな会計目的観である意思決定有用性のもつ弊害を明らかにした。意思決定有用性は、時代の必然性によって現れた会計目的観であるが、その内容には、多くの欠陥が指摘された。それは、「反証可能性」の欠如による疑似科学性による会計基準への客観的な規制の停止と基準設定者の主観の介入が指摘できる。また、包括利益の採用による実現利益の放棄によって、会計を会計たらしめている機能を自ら否定しかねないものとしての危険性も存在する。しかし、意思決定有用性は、会計目的観として、すでに英米の基準設定者間において制度派経済学における「制度」として存在し、科学による反証をはるかに超越したものとして、経済主体の選択や行動を広く規律しているのである。これらのことは、意思決定有用性が必ずしも会計としての機能を向上させるものとはいえないことを意味しているのである。

6章では、アカウンタビリティの遂行と意思決定有用性という二つの会計目的観の求める会計情報の質的特徴について考察し、その違いを明らかにした。伝統的なアカウンタビリティの遂行には、信頼性の高い、硬い測定による会計情報が必要とされるのに対し、意思決定有用性の求める会計情報は、目的適合的であることが求められ、それには信頼性を犠牲にすることを意味する。ここに両者のトレード・オフ関係が成立し、意思決定有用性を目的とした会計は、明確なアカウンタビリティの遂行を阻害することが明らかになった。

 第7章では、我が国の方向性を探る前提として、日本の会計制度について概観し、現状について考察した。我が国では、トライアングル体制と称される、商法会計、証券取引法会計、税法会計の3つの会計関連法令が結びついて、一つの企業会計制度を構築していた。しかし、会計の国際化の勢いに乗った意思決定有用性思考の会計は、我が国においても会計ビックバンと称される一連の会計基準の設定・改訂によって実際に持ち込まれ、証券取引法会計による情報提供機能の強化、商法会計の軽視というかたちで表面化している。商法会計の軽視は、すなわちアカウンタビリティの遂行目的の会計の後退を意味する。アカウンタビリティの遂行と意思決定有用性との会計情報のトレード・オフ関係は、日本における証券取引法会計と商法のトレード・オフ関係に置き換えられる。それは、証券取引法会計にける情報提供機能の優位性、現在の世界的潮流のなかでの商法会計の困難性を意味するのである。

7章を通じて、会計の本質(第1章)、アカウンタビリティの遂行(第2章)、意思決定有用性(第3章)、現代会計の背景(第4章)、意思決定有用性の弊害(第5章)、二つの会計目的観の求める会計情報(第6章)、日本の会計制度(第7章)をそれぞれ検討し、会計の本質に従った会計の機能(役割)は、その目的の変化によって大きく変わりつつあることが認識され、我が国においてもその影響が表れていることがわかった。以上のような会計のアカウンタビリティの遂行目的の後退をどのように回避し、健全な会計制度を我が国において制度化するべきであるかを結論として以下のように導き出した。

意思決定有用性目的の会計は、事実上の会計目的観の世界標準として以後も進展することは間違いない。この流れに逆らうことは、経済システムを支える制度的基盤である会計の制度性からしても不可能であり、明らかにデメリットが大きい。そのため、情報提供機能を目的とする証券取引法会計は現状の通り世界的潮流を十分に踏まえながら、世界の資本市場をつなぐための役割を果し続けるべきである。しかし、アカウンタビリティの遂行による利害調整機能を目的とした商法会計は、会計の本来の役割としての機能を残すために、その目的に沿った形で存続することが望ましい。そのためには、証券取引法会計と商法会計をこれまでのように、両者の相違をなるべくなくし調整していくという指向から、両者の根本的な相違を認め、全く別の会計規制として捉えるべきである。商法会計がアカウンタビリティの遂行という会計の本質的な機能(役割)を守り続けることによって、過度な予測や経営者の判断、会計の政治化を排し、健全なアカウンタビリティとしての会計が遂行されることが期待される。また、硬度の高い測定による確定的な会計情報による財務諸表は、実現という確固たる利益とともに確定決算主義との繋がりをより確かなものにできると考えられる。

 今日、会計が大きな変革時期にあるなか、主導的な立場をとるアングロサクソン諸国の意思決定有用性を鵜呑みにすることは、ヨーロッパ大陸及び日本における伝統的な会計思考のみならず、独自の文化の危機を招きかねないものである。アングロサクソン諸国による偏った組織のもとで、その志向による世界統一基準を作成するのではなく、世界の国々が文化を基礎に独自に発展させてきた会計制度をうまくグローバル化社会に適合していくことが必要である。本論文における意思決定有用性の必然性、世界的潮流と弊害、会計の本質としてのアカウンタビリティの遂行、会計の制度性および日本のトライアングル体制という観点からの検討を総合すると、我が国におけるトライアングル体制と称される独自の会計制度を利用しつつ、ダブルスタンダード体制として証券取引法会計においてグローバル化をはかり、商法会計と税法会計において、証券取引法会計に不足している会計の機能(役割)やローカルなものを残すべきであると提言できる。結論にある我が国の新たな会計制度の構想を図にすると以下のようになる。

 

テキスト ボックス: 確定決算主義テキスト ボックス: 協調